1. オレステイア:II
〜ふたりのエーレクトラー〜




さて、じゃあ二人の詩人による『エーレクトラー』の比較をしてみよう。

題名が表しているとおり、どちらも主役は俺の姉さん!!

恥ずかしいわ、みっともないところを見せていて…

何を言ってるんだ、姉さんはいつも素敵だよ。

ありがとう、優しい子ね。

姉さん♪

あの、話を進めてもいい?


どちらが先にかかれたんでしたっけ。

どっちだったかな、思い出せないや。

最近の研究者たちも、どちらが先だったか
結論がまだ出ていないみたいだね。

どちらがどちらに影響していたのか、
そのあたりはわからないけれど、
どちらもアイスキュロスの『オレステイア』の影響を
強く受けていることはわかる。
じゃあ、まず
ソポクレースの『エーレクトラーから見よう。

★ソポクレース『エーレクトラー』



俺この作品大好きだな!

そうだろうね…。『オレステースのジレンマ』がまったくないからね。

そうそう。ある種ホメーロス的世界観の中で展開されていくよな。

ここでの私は、
たしかにオレステースに復讐を促すけれど、
オレステースはもとより復讐に意欲的よね。
頼もしい。

『正義の遂行者』って感じで描かれているよなあ。

うん。

いやあ、でもここのオレステースは
いろいろと問題も多いと思うなあ…。

あら、どうして?

隙のない英雄、って感じじゃない。

その隙のなさが怖いんだよ。

こいつまただんまり役者に
後戻りしてるから妬いてるんだよ。

姉さん、流していいよ。

エーレクトラー、
ここでの君たち姉弟の再会のシーン覚えている?


覚えているわ。

失意のどん底、絶望の淵から
一気に歓喜の極みにまで達する、
ああした体験はなかなかないわね。

お父様がなくなってから、
アイギストスに追従するのを拒んで虐待されてきた私―
―妹のクリューソテミスが私のことを心配して、
追従しろといってもそれを拒んで、
自ら自分を追い詰め、
オレステースが成人して帰ってくるのを待っていた私は、
突然、オレステースが死んだという伝えを聞いて
絶望するのよね。


僕とオレステースは、
僕の故郷―ポーキスからの使者の振りをして、
君に近づく。

骨壷を持って、このつぼに入っているのが
オレステースの骨だ、といってね。

ここの姉さんの絶望する姿は涙を誘うよなあ。


うん。

エーレクトラーははじめ、強い女性として描かれる。
それこそ、七年間も恨みを忘れずに―
―傷がいえるのを拒み続けた、
芯の強い、強情でまっすぐな女性として。

それがオレステースの死を伝えられて、
限界のところで、ギリギリのところで耐えていた
最後の砦が陥落してしまったかのように、
一気にその強がりが崩れてしまう。


やっぱりこの劇は俺の劇ではなく、
『エーレクトラー』なんだな。

姉さんの心の動き、
姉さんの内面の悲劇に焦点を当てているように思える。

しっかし、いいよねー。
俺のために涙を流す姉さん!

ほらきた。

こういうオレステースの態度が
僕にはどうも問題があるように思われるな…。

どういうこと?ピュラデース。

エーレクトラー、
オレステースがポーキスの使者の振りをして
しばらく正体を明かさずにいたのは、
敵を欺くには味方から、という作戦と、
君が本当にエーレクトラーかどうか、
慎重に確かめるためにだった、

そう思っているよね。

ええ、そう思っているわ。

君は気がついていないかもしれないけれど、
オレステースは…

うわっ、
おい馬鹿、
余計なこと言うのやめろ!

君が姉だと気がついた後も、
使者の振りをして、
君が自分のために慌てふためき、
心を痛めるのをしばらく嬉々として観察しているよ。

シスコンの上にドS…
ここのオレステースは一番敵にまわしたくないね。

オレステース、これは本当?

嫌だな姉さん、
ピュラデースが、一言もせりふがないのを恨んで
嘘八百を並べ立てているだけだよ。


(ピュラデース、あとで覚えていろよ…)

・・・・・・・・!

そう。

でもとにかく、ソポクレースのオレステースには
迷いがないわよね。
いつもだったらアイギストスを殺した後に
回してしまうお母様殺しも、
ここではアイギストスがやってくるより先にさくっと行っているし。

ここのシーンすごいよね。

殺人が普通舞台上で行われないギリシア悲劇だから、
スケーネー…ここではアルゴスの王宮だね。
王宮の中、扉の向こうで行われている。
扉の向こうから、
クリュタイムネーストラーの叫び声が聞こえてくる。

これを聞いて、扉の外―舞台上にいるエーレクトラーと
コロスの代表はオレステースに声援を送るんだ。





クリュタイムネーストラー ああ!なんと惨めな!アイギストス!あなた何処に出かけているの?!
エーレクトラー ほらっ、また誰かが大声で叫んでるわ!
クリュタイムネーストラー             ああ坊や、坊や、
 お母さんを憐れんでおくれ!
エーレクトラー            でもあなたからは
 その子も、その子の父親も、憐れみをかけられなかったのよ!
コロスの長 おおポリスよ、おお痛ましき一族よ、今こそ汝の
日々の悲運が朽ちてゆく、朽ちてゆく!
クリュタイムネーストラー ああっ、刺されたっ!
エーレクトラー                刺すのよ!出来るなら、もう一突き!
クリュタイムネーストラー ああっ、また!!
エーレクトラー           アイギストスと一緒ならよかったのに!

(S. El. 1410-1417)


…怖い…(特にエーレクトラーが…)。

まあこうして母上を殺し、
そのあとさくっとアイギストスを殺しにいくところで
この悲劇は終わるんだよな。

一応ハッピーエンドなのかしら。

うーん、どうだろう。
母上を殺した時点では、
エリーニュエスは出てきていない。

だけれど、アイギストスを殺害した時点で
どうなっているかは
明示されていない

アイギストスは俺が苦しめられる未来を
暗示するような言葉を吐いているしな。


明るい終わり方じゃないことは確かだな。

でも、ここのオレステースは
(救いがたくシスコンでドSではあっても)
健全な魂を持った英雄といえるだろう。

アポローンの神託・正義にたいして、
微塵も疑う気持ちを持っていない。
そういう点で問題があるのは
エウリーピデースの『エーレクトラー』だな。


エウリーピデース『エーレクトラー』


この作品苦手…

どうして?

だってさあ、
劇冒頭でいきなりエーレクトラーが
貧乏な農夫に嫁がされてるとかいう
超トンデモ設定が飛び出してくるじゃん!


エウリーピデースさん勘弁してくださいよ…!


アイギストスに無理やり縁組されちゃってるんだよね。

そう。

私がもし立派な家柄の方と結婚して、
子供をなしたら、その子が
復讐してくるんじゃないかと恐れたアイギストスは、
私を農夫に嫁がせるの。

アイギストス許さねえ…
誰の許可があってエーレクトラーを
そんなつまんない男の嫁にやるんだよ!

エーレクトラーのキューリオス
(主、結婚の決定権を持つ者)は
この!俺!!!!

オレステース、
あの方はつまらない人じゃなかったわ。
貧しいけれど高潔な男性よ。

私のことを思いやって、
結婚しても指一本触れようとなさらなかった。

事実上まったく関係を持っていない、
いわゆる「白い結婚」だね。

でもさあああ、同じ部屋で寝てたんだろ?!

そうね。

腹立つ…

はいはい、落ち着いて落ち着いて。

この「白い結婚」によって、
私はどこにも行き場を失ってしまうのよね。

どういうこと?


一応結婚しているから、
もう乙女の輪の中には入ることができない。

でも、実際は本当に結婚しているわけじゃないから、
主婦たちのコミュニティにも恥ずかしくて入れない。
しかも王宮から離れた国境地帯に住んでいる。

孤立しているのよ、どの共同体からも。
私の自意識では
まだ「アガメムノーンの王女エーレクトラー」なのに、
現実は農夫の妻…

この現実と自己認識の乖離が、
ここでの私を苦しめているの。


そんなエーレクトラーの唯一の希望が、
オレステースの帰還だったわけだ。

そう!
オレステースは私のキューリオスだから、
この結婚も反故にしてくれるだろうし、
見事に復讐を果たし、
私を王女に戻してくれる、そう思っているのね。

だけれど、やってきたのは…。

この作品も『エーレクトラー』の悲劇なだけあって、
エーレクトラーはとても複雑な人物になっているけれど、
ここのオレステースもまた一癖も二癖もある、
難しい人物として描かれているよね。

ここでの俺嫌なんだよー。

ジレンマ大爆発じゃん。しかも、頼りない感じだしさあ・・・。

最初、エーレクトラーと再開したときも
弟だなんて露も思われないもんな。


じいやがいくら証拠を並べ立てても、
エーレクトラーは目の前にいる男を弟だとは認めない。

こんなナイーブそうな若者を弟だとは思いたくないんだ。


そう、この認知のシーンは
アイスキュロスへの皮肉なオマージュよね。

アイスキュロスでは、
髪の毛が似ていること、
足の大きさが似ていること、
そして
エーレクトラーが昔織った着物を着ていること

証拠になったよな。

この作品では、
これらの現実味のない証拠を次々と
私は切り捨てる。

最終的に、何が決め手になったんだっけ?

俺の眉に沿った古傷さ。

むかし、
オレステースが小鹿を追いかけているときに
転んで怪我をしたときのものよ。

ぶっ

笑うな!!

これは『オデュッセイア』のパロディね。

先行文学との比較で
ますます情けなく描かれている俺…。

しかも、復讐に消極的なのよね。
私が励まして励まして、なんとか実行に移す、っていう。

しかたないさ。

オレステースは放浪生活を通して、
自分が復讐する意義を見失ってしまっているんだ。


復讐が正義である、っていう考えを支えている、
伝統的な英雄らしい価値観―
男らしさとか、家柄とか、
そういうものにもうあんまり価値を見出してないんだよな。

貧しくても高潔な人間はいる。

生まれがよくても卑しい人間もいるものね。

人間、苦労するといろいろ角が取れて丸くなるもんだよな。
そんなわけで角が取れすぎて
腰抜けになっちゃったオレステース君は、だ。

それでもなんとか、
「英雄オレステース」を演じようとがんばるわけだな。

なんて健気なのかしら。

そして復讐をいよいよ実行に移す。

ニンフ(結婚と子宝の守護神)の祭りを行い、
犠牲の牛を捧げるアイギストスを、
背後から斧で惨殺する

英雄らしからぬ卑怯な行為だ。

そして、エーレクトラーが出産した、
って虚偽の知らせを母上に送り、
農夫の家までおびき出すんだよな。

だけれど、この復讐は苦い結果に終わるのよね。

実際に殺人を犯したことで、
これがやっぱり罪である、という自覚を強めてしまうんだ。

私も、お母様の亡骸をみて始めて気がつくの。

ああなんて、
なんて恐ろしいことをしてしまったのかしら、と。
本当は、お母様を愛していたことに、
手遅れになってから気がつくのね。

こんなかんじで呆然としている姉弟の前に、
待ってましたと言わんばかりに上空から神々が登場する!!

デウス・エクス・マーキナーね。

やってきたのはカストールとポリュデウケース。
アポローンの代理として、ディオスコロイが登場するわけだ。

カストールはオレステースに
アルゴスを去るように言うんだよな。
アルカディアーにしばらく行って、
それからアテーナイへ行って裁判を受けろ、って。

ここで面白いのは、
母殺し=復讐=正義
という宣言が最後までされないことね。
カストールはそんな神託を下したアポローン様を
批判までしている。

「賢くない神託を下された」
「賢明でない言葉」を告げられた、って。

アポローンの神託の正当性が
最後の最後まで証明されないんだな。
これは苦しい。

唯一アポローンが、
俺の復讐の正義のよりどころだって言うのに。


おそらく、この劇の焦点はそこじゃないんだろう。

じゃあ、どこだよ。

わからないかなあ、
この劇は『エーレクトラー』なんだ。

ああ、そうか。
…最後にエーレクトラーは、
俺ともう二度と会えなくなるんだよな。


こんなに悲痛なことはないわよね。

この劇の私、エーレクトラーは
弟のあなたを自己実現の鍵…
農婦エーレクトラーを
王女に戻してくれる希望としてしか見ていなかった。

それが、最後になって、
やっと等身大の弟を認めて
愛することが出来るようになったとたん、
永遠の別れが来るんですもの。


そして姉さんは、
属せないと思っていたけれど、
実は自分を支えてくれていた共同体、
つまり故郷の女たちをも去らなければならない。

俺も、これからエリーニュエスに追われる
放浪生活が待っている。


何て苦々しい終わり方だろう。

でも不思議と、悲しくて柔らかい、
救済があるように思えるわ。

エーレクトラーは成長するのよ。
伝統神話には現れないような農夫、
田舎の娘達、
そういう普通の人々の暖かさ、優しさ、
そういったものが本当は国家を、
世界を支えているのだと知って。

おっと、オレステースだけじゃなくて
エーレクトラーも、角が取れて丸くなるんだな。

俺はツンツンした姉さんも好きだけどな!


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