じゃあまず、悲劇作家たちに人気の高いあの青年を呼ぼう。 |
それはどなた? |
トロイア戦争において、 ギリシア側の大将だった男アガメムノーンの息子オレステースだ。 今回はこのオレステースの伝説、 いわゆる「オレステイア」を題材とした悲劇を 時代ごとにざっと見ていこう。 同じ題材なのに、時代が変わるにつれて どんどん趣が変わってくるのが分かるだろう。 |
悲劇ってそんなに色々違った解釈で上演していいものなの? |
ま、コンテストだしね。 毎年、前年より優れた面白い作品をみんな待ち望んでるのさ。 ひとまず一応、簡単に一般的な神話に触れて、 それからオレステース君にご登場願おう。 |
★かんたんオレステイア★ トロイア戦争のギリシア軍総大将アガメムノーンの妻クリュタイメーストラーは、 夫の留守中アイギストスと密通していた。 アガメムノーンは戦争終結後故郷アルゴス(またはミュケーナイ)に帰るが、 クリュタイメーストラーとアイギストスによって殺されてしまう。 アガメムノーンの息子オレステースは七年の放浪の後故郷に帰還し、 アポローンの神託にしたがって父の仇を討つ。 |
どうも、 アガメムノーンとクリュタイムネーストラーの息子、 尊属殺人で悪名高いオレステースです。 今日は俺の出てる悲劇について話す、ってことで、 一人じゃ上手く出来る自信がないので 姉と親友を連れてきました。 |
姉のエーレクトラーです。 |
オレステースのいとこで親友のピュラデースです。 |
なんだか緊張するなあ。俺ってそんなに人気が高かったっけ? |
人気者じゃない。あなたが登場する悲劇がいくつあると思って? |
現存するだけでアイスキュロスは 『コエーポロイ』『エウメニデス』、 ソポクレースは『エーレクトラー』、 エウリーピデースに至っては 『アンドロマケー』『エーレクトラー』 『タウリケーのイーピゲネイア』、 そして君がタイトルロールの『オレステース』があるね。 |
エーレクトラー姉さんのほうが人気者って印象があるけどな。 ほら、ソポクレースとエウリピデースにはそれぞれ、 『エーレクトラー』がある。 |
あなたの武勇譚があるからこそ、 私の話だって残っているんじゃない。 |
まあ、俺って母親殺しで有名だからな。 |
違うわ。父親の仇を討った英雄として有名なのよ。 |
まあまあ、どちらにしろ有名だけど、 時代によってオレステースの見方はずいぶん違うよ。 まず、古い時代から、それこそ悲劇が生まれる前から、 オレステースがどう描かれているか見てみないかい? |
いい考えね、ピュラデース。 |
あれっ、俺『オデュッセイア』出てた? なんかしたような記憶はないけど。 |
君自身は登場してない。でも、君の話は何度も出てくるよ。 |
どんな風に?気になるな! |
オデュッセウスの息子テーレマコスは、何度も 「オレステースを見習え」って、 色々な人に言われてる。 |
第一巻では、 メンテースの姿を借りたアテーネー女神様が言ってらっしゃるわね。 オレステースみたいに立派な行いをして名声を得よ、って。 (第一巻298〜302行) ここのところのオレステースについてる形容辞、なんだか分かる? |
えー、なんだろう、見当もつかない。 教えてくれよ、エーレクトラー。 |
「神のごとき」よ!素敵ね。さすが私の弟。 |
俺の姉さん♪ |
あーはいはい、そうだね! 第三巻ではネストールも似たようなことを言ってるしね! (第三巻193〜200行) |
テーレマコスはこれを受けて、 オレステースのことを「アカイア人らの大いなる誉れ」 なんて言ってるわ。 『オデュッセイア』のオレステースは、 テーレマコスにとって見習うべき英雄っていう感じよね。 |
母親殺しへの言及をうま〜く避けているしね。 |
えっ、じゃあここでの俺って完全無欠じゃん!かっこいい! |
ステーシコロスか!抒情詩人だったよな。 |
残念なことにこの人の『オレステイア』、 断片しか残ってないのよね。 |
でも、ステーシコロスの『オレステイア』は、 アイスキュロスの『オレステイア』、 エウリーピデースの『オレステース』、 そして喜劇ではアリストパネースの『平和』なんかの 元ネタになってる。 『平和』は元ネタ、っていうか歌をもじったりしてるな。 |
へえ!知らなかった。ステーシコロスの業績ってでかいんだな。 |
ここのオレステースは、 アポローン様ときわめて近しい感じに描かれてて、 見てて安心するのよね。 アポローン様の援護がとても直接的だわ。 復讐の女神達《エリーニュエス》もこれで怖くない! |
心強いな! |
そして君もアポローン様を疑いなく真っ直ぐに信じている。 まさに王道、健全な「オレステイア」だ。 ただし… |
ただし? |
君の母殺しについて初めて明確に提示した作品だね。 |
「オレステースのジレンマ」の芽が出てきたって所かしら。 |
うっわー、そう聞くとなんか嫌だな…。 |
そろそろ悲劇に取り掛かろうぜ。まずはアイスキュロスだ。 |
アイスキュロスの 『アガメムノーン』 『コエーポロイ(供養する女達)』 『エウメニデス(慈しみの女神達)』 これらは三点セットでなんて言われているかしら? |
『オレステイア三部作』!! |
ギリシア悲劇が三部作形式だったのを、 唯一完全に伝えている作品ね。 他のもので、三つ全部残っているものは一つもないわ。 |
まず俺が出てこない『アガメムノーン』で、 父上がトロイアから帰ってきて母上に殺される。 |
そして二作目『コエーポロイ』で、 七年間亡命していたオレステースが帰ってきて、復讐を果たす。 |
そして最後の『エウメニデス』では、 「復讐=正義」は同時に「母殺し=罪」である、 という正義《ディケー》の自己矛盾に決着がつく。 |
まったく見事だ。 俺たちアトレウス王家の呪い、そして血で血を洗う抗争。 復讐は新たな復讐を呼び、 予言と兆しが次々に作品をまたぎ成就していく。 |
緊張感を保ちつつ三作品が連結しているわね。 |
そして『エウメニデス』の大団円へと収束する。 |
『コエーポロイ』いいよなー。俺と姉さんの、感動の再会!! |
私、思い出すだけで涙が出ちゃうわ。 あの小さかったオレステースが、 何て立派になって帰ってきたのかしら、って。 あの認知《アナグノーリシス》の場面は本当に素敵ね。 |
再会する前に、 父上のお墓で誰かが――っていうか俺が供養した様子を見て、 姉さんは欣喜雀躍するんだよな。 |
お供えされていた髪の房はオレステースのものに間違いない! って思ったのよ。 |
コロス(合唱隊)扮するアルゴスの乙女達がいぶかしんでる中、 俺が帰ってきたと確信してぴょんぴょん喜ぶ姉さん…かわいい。 |
そんな喜んでるエーレクトラーの前に、 タイミングを見計らってすかさず登場する僕達。 その変態的なオレステースの台詞がこちら。 |
オレステース どうか祈ってください、神様に祈願が成就したと ご報告して、これから先も願いのとおりになりますように、と。 (姉さん、俺だよ!オレステースだよ!!) エーレクトラー えっ(誰この人…)、では、いま、神様のおかげでどんな祈りが叶えられたと仰るの? オレステース 昔からあなたが祈願をこめていた人物が、今あなたの目の前に! エーレクトラー え、誰…?…わたくしがいったい誰の名を呼んでいたか、お分かりなの? オレステース ええ、わかっていますとも。あなたはオレステースに夢中だ、とね!!! (Ch. 212-217) |
うわああああ シスコン!シスコンだよ!!! しかもこんな登場の仕方だったからエーレクトラーは全然信じてない! |
嫉妬は醜いぞ、ピュラデース。 さて、このとき俺が着ていたのが 昔姉さんの織ってくれた布だったんだけど、 これが証拠となって姉さんには信じてもらえたんだっけ。 よかったよなー。 |
美しい場面よね。 |
あ、確かに美しいな。 復讐の前に、君達二人がソロで、 コロス(合唱隊)と一緒に歌うコンモス〔哀悼合唱〕もまたいいよね。 鳥肌が立つような、殺気迫る美しさだ。 |
「ぽぽい・だー!!」っていう謎の叫びを上げながら歌ったやつな。 ♪黄泉の〜国の〜女王たちよ〜♪ 死者達の〜大いなる〜呪いよ〜♪ ご覧あれ!ご覧あれえええええー!!!! アトレウス家の忘れ形見があぁ〜♪ 家を追われってー、困窮にあえーぐ姿をおぉぉ!!!!♪ |
♪吼え〜たける…狼さな〜がら〜… なだめようも〜ない〜♪ 母の血を継ぐ〜わたくしの心はあぁ〜…♪ |
♪ああ!ああ!なんて酷い〜♪ なんと不適な〜俺の母よおおおお!!!!♪ |
…うん、ロック、だね…。(あれ…?) |
とまあ、ギリシア悲劇はミュージカルだったわけだ。 特にエーレクトラーはソロが多いよな、どの詩人の作品でも。 |
嬉しいわ。 |
姉さんもかなり目立っててかっこいいけど、 なんと言っても『コエーポロイ』の白眉はピュラデースだな。 |
そうね。ここのピュラデースは素晴らしいわ。 |
照れるな。(未来の嫁にほめられたああああ) |
ピュラデース、最初出てきてもずーっと喋らないんだよな。 |
そうそう。 ギリシア悲劇によくある「だんまり役者」だと思うよな。 |
それがさ!!俺がいよいよ復讐するぞって段になって、 初めて母殺しに対してためらいを見せるシーンでさ! |
オレステース ピュラデース…どうしよう?母を殺すことを、恐れるべきだろうか…? ピュラデース なんだって?じゃあこの先、ロクシアースの神託はどうなっていくんだ? ピュートーの御告げは?神が、誓って申された真実は? 世の人すべてを敵にしようとも、神々を敵に回すよりはましだと思え! (Ch. 899-902) |
今までだんまり役者がやっていると思っていたピュラデースが、 この強烈で決定的なひと言を発する。 これには当時の観客はびっくりしただろうな。 |
役者が二人だったのが三人になっていく、 その時代の流れを感じるわね。 とにかく、この舞台効果はすさまじいわね。 観客にとっての常識、 思い込みを逆手にとって上手く利用しているわ。 |
とにかく、この言葉のおかげで俺は復讐を決意し、実行する。 ピュラデースかっこいい!素敵!キャー抱いて!!! って感じだよな、姉さん! |
抱いて、はないけど。他には同意するわ。 |
(ないんだ……) |
とまあ、ここでいわゆる 「オレステースのジレンマ」が誕生したわけだ。 |
でも、アイスキュロスのオレステースはまだいいわ。 ピュラデースのこのひと言以降、 まったく良心の呵責に悩まされることないじゃない。 |
そうだけど、やっぱり辛いよ。 エリーニュエス(復讐の女神たち)が来るんだから。 |
ああ、復讐の女神達は恐ろしいな。君にしか見えないけど。 |
マジで怖いんだって!! だって、髪の毛が蛇でゴルゴーンみたいだし、 目はギラギラ光ってるし、翼が生えてて超速いし! それが三人、三人もいるんだよ?! |
エリーニュスたち―エリーニュエスは、 いつもは地下の闇の世界にいて、 大地にしみ込んだ殺人の血のにおいで目ざめるのよね。 |
そうそう。んで、殺人者を追いかける。 と同時に、殺されたものの親族も追いかける。 「復讐しろ!」っつって。まったくどーしろっていうんだよ!!! 母さんを殺さなかったら 「アガメムノーンの復讐をしろ〜」って言われて追いかけられるし、 殺したら今度は「母親を殺したなあああ」って追いかけてくるし! そんなに言うなら あなた方が代わりに復讐してくださいよ、 って話だよ!! |
ストレスたまってたよね、オレステース。 |
たまるなんてもんじゃないね。耳からストレス噴出するレベル。 |
…本当に大変だったわね、あなたは姉さんの誇りよ。 |
姉さんのその言葉で報われるよ…ああ、俺の姉さん! |
はいはい、 それじゃそのエリーニュエスに追い掛け回される 『エウメニデス』の話をしようか!!! |
そうそう、ここではエリーニュエスが観客にも見える。 なんてったって、コロスがエリーニュエスだから。 |
え?! |
コロス(合唱隊)がエリーニュエスなんだよ。 舞台上を走り回ってんの。 |
それは、かなり嫌ね。怖いわ。 |
でも大丈夫、オレステースには アポローン、アテーナーがついてくださってる。 |
最終的に、 アテーナー女神が取り仕切ってくれる裁判で俺は勝利して、 はれて無罪になるわけだ。 |
この裁判すごいよね。 被告:オレステース、原告:エリーニュエス、 弁護人アポローン、裁判長アテーナー…。 |
そして、アテーナイの名家出身の陪審員達がいる。 この陪審員達の投票は五分五分だったけど、 アテーナー女神が俺に一票を投じてくれて、俺は無罪。 アポローンの神託はめでたく成就。 |
民主制賛美とも取れる内容だよな。 |
上演当時の価値観と、神話的な価値観とが 齟齬をきたしていて、 そこにアイスキュロスはメスを入れて 劇中で解決案を提示した、って事かしら。 その齟齬の象徴がオレステースなのね。 |
さすがエーレクトラー、鋭い。 |
おい、俺の台詞盗るな! |