1. オレステイア:III
〜変容するオレステース〜



★エウリーピデース『オレステース』★


来ました、問題作『オレステース』!

難しい作品よね。

「駄作」って言われたり、
「エウリーピデースの最高傑作」って言われたり、
とにかく評価が分かれるよな。

色々な要素が絡み合いすぎて、
一筋縄ではいかない複雑な作品だ。

どうしてそんなに複雑になってしまったのかしら。

一つは、『オレステース』は母殺し、
復讐が終わった時点から描かれるって事かな。

「オレステースのジレンマ」の時点は過ぎてしまった感じね。

ところがどっこい、それをさらにこじらせてる感じがある。

冒頭から奮っているよね。

ベッドに臥せっているオレステース。
そしてそれを看病しているエーレクトラー。

そう。ここでのオレステースは病気だ。
エリーニュエスに苛まれて、狂気の発作が時折やってくる。

こんな登場の仕方をした英雄が他にいるかい?

しかもそれが、オレステースだというのが衝撃的ね。

うん。

観客は、ベッドに横になっている、
打ちひしがれた青年を知っている。

彼はかつて、英雄の中の英雄だったのだ。
トロイア戦争の後始末をさせられた、
不幸にして勇敢な青年だった。

それがこんなだよ。
何日も体や頭を洗ってないから汚れているし、
やつれているし、
姉さんに顔とか拭いてもらってるんだよ。

がっかりするよな。

これまでの悲劇だったらありえない始まり方よ。
室内から始まるなんて!

すごくプライベートな感じがするわ。

それがかえって観客の同情を引いたんじゃないかな。
強烈な感情移入を呼ぶ。

ここのオレステースはとても苦しんでいるの。
理屈では復讐は正しかったと考えているけれど、
感情では納得がいっていない。

実際に殺人を犯したことで、
魂に痛みを感じているのよ。
胸の中で理屈と感情が一致してなくて、とても辛い状況ね。

そして、そんなオレステースとエーレクトラーには、
石打ちの刑が待っている。

厳密にはちょっとちがう。
石打ちの刑に処するかどうか、
それを決める
裁判が待っているんだ。


え、アテーナイではなく、アルゴスで?


そう。エウリーピデースは、
従来の伝説にない新しいプロットを
『オレステース』に沢山盛り込んだんだ。

まず一つ目が、そのアルゴスでの裁判。

母殺しによって災いがもたらされた、と
激昂するアルゴス人らに俺達が裁かれる。

石打ちの刑っていうのがリアルだね。
石打ちの刑は――市民たちが実際に処刑に参加する。
死ぬまで、石を投げつけるんだ。

一人が悪事を働くと、その共同体全体に禍が広がる、
っていう考えがあったんだな。

だから、処刑に参加することで、
自分に分配された穢れを清算するんだ。

おそろしいわ。

処刑は同時に共同体の清めの行為となるのね。


わざわざ石打ちの刑にされに、
お兄様の埋葬に出向いたアンティゴネーは本当に立派ね。尊敬するわ。

ま、そういう石打ちが要求されるあたり、

俺は
穢れた人間としてアルゴスに認識されている。


そりゃそうだ。

他の作品でも伝統神話でも、
君は母殺しの血の穢れを故郷に持ち込まないため、
復讐早々土地を離れているんだから。

それが、この作品では俺は病気で動けないんだよなー。
姉さんの看病とピュラデースに勇気付けられて立ち上がるけど。

そして裁判に出向いて自己弁護するんだよね。

でもやっぱりだめなんだよなー。
怒り猛る民衆には何言っても説得力ないんだよ。
ディオメーデースがかばってくれたのに
誰も聞いちゃいないし。

そして石打ちの刑に。

それだけは勘弁を!
今日中に姉弟共に自分で死ぬから!
ってお願いして石打は免れるんだけどなあ…。

どうしてこうなっちゃったのかしら。

たぶん誰もがそう思ってる。

観客も、登場人物たちも。

さて、ここから伝統神話への反逆が始まる。
この劇の面白いところだ。

ピュラデースが、

このまま死ぬのは癪に障るから、
メネラーオスに復讐しよう!

って提案するんだよな。その復讐というのが…

ヘレネーを殺すことだ。

トロイア戦争の元凶になった女を殺せば、
もしかしたら市民感情がオレステースに好意的になって、
死を免れることが出来るかも、
という打算を含んだ計略ね。

でも、この計画はあまり生き残るにはいい方法じゃない。

そこでエーレクトラーが提案する。

ヘレネーを殺しても命が危ないようなら、
ヘルミオネーを人質にとって、
メネラーオスに命乞いをしよう、と。

ヘルミオネーさん

ヘレネーとメネラーオスの娘、
オレステースとエーレクトラーの従妹。

メネラーオスにとっては、やっと再会できた愛娘だもの。
何よりも大切な存在のはずだから
彼女を見殺しにするはずない、と思ったのよ。

と、僕たち三人は計画を練り、
決意を固めて運命に挑んでゆく。

観客みんなが知っている、
正規のオレステイアに反逆するのね。

ところがどっこい、
反逆しているようで俺達の行動はほとんどが
先行作品を思い起こさせるようになっている。

なんてうまく出来た
アイロニーなんだろうな!


さて、俺とピュラデースは
館の中でヘレネーを殺そうとする。

お、ソポクレースの『エーレクトラー』
思い出すね。

だがしかし、手にかけようとした瞬間にヘレネーは消えてしまう!

そこにやってきたヘルミオネー。
私が
言葉巧みに館の中に誘い込む。

ここのエーレクトラーは
『アガメムノーン』のクリュタイムネーストラー
髣髴とさせる。

すごい皮肉ね。
あんなに憎んでいたお母様と、
まったく同じ事をしているのよ。

そのヘルミオネーを羽交い絞めにして
喉に件を当てた俺は、
ピュラデース、エーレクトラーを率いて屋根の上へ!

あわててやってきたメネラーオスを上から恐喝する。

ここは『メーデイア』のパロディだ。

娘を殺されたくなければ俺達の命を救え!
そして、アルゴスの王座を俺に渡せ!

――この要求をメネラーオスに突きつける。
が、しかし、メネラーオスは結局要求を呑まない。

娘の命乞いは口先だけだ。

アルゴスの兵士達に、
私たちを襲うように指示するメネラーオス。

もう進退きわまったオレステースが
やむなくヘルミオネーを殺めようとした、そのとき―――

やっと、やっと、
ずっと待ち望んでいた、
アポローン様が降臨される。

デウス・エクス・マーキナー!

一応ハッピー・エンドだよね。


どうかな。
それはこの作品を見た人たちに、ぜひ聞きたい。

たしかに解決するよ。
俺は未来の裁判とその勝利をアポローンに約束される。
そしてヘルミオネーを娶るように言われ、
メネラーオスは俺に王座を譲ることを呑む。

だけれど、病めるオレステースの魂の痛みは、
これからも、死ぬまで続くんじゃないかという気がする。

救済はある。
アポローンの存在そのもの、
神託の正当性の証明そのものは俺にとっては救済だ。
でも、どうしようもなく、残酷だ。そして同時に、とても美しい。


上演当時の宗教感情を考慮してみると面白そうね。

いずれにせよ問題作って言うのはよくわかったわ。






《おまけ》
―近代以降のオレステイア―




さて、こうしてざっと見てみると、
俺という人間も時代によっていろいろ解釈が違うもんだなあ。

『オデュッセイア』から『オレステース』まで、
400年間でこんなに変わるもんなんだね。

さあ、これより2000年以上たっても、
オレステイアは悲劇以外の新しい形でも歌われている。
いったいどういう風になっているか、
これも比較すると面白そうだ。

オレステースはいつになっても人気者ね!

うーん、
人気があるのはエーレクトラーの気がするけれど…

まあちょっと見てみよう。


★オペラ★

まず、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のオペラ
『エレクトラ』(1908)。

脚本はホーフマンスタール。
一幕もの、大体二時間弱のわりと短めのドイツ語オペラだな。

題名のとおり姉さんが主役…っていうか
ソポクレースの『エーレクトラー』を翻案した感じだな。

うーん、
エーレクトラーの人物描写がより過激になってる気がするけど…。

なんかすごい電波女って印象がある。ごめん。


ひどいな、ちょっと感情の起伏が激しいだけだよ。
エキセントリックといってくれ。

とにかく音楽がいいんだよ。
このくらい過激な女じゃないと、ああした歌は歌えないぜ。
俺は好きだな。

ドSオレステースだもんね!

ていうか音楽の印象もあって
すごく陰惨なオペラに仕上がってると思う。


陰惨か?

オーケストラーの編成がやたらすごくて
ド迫力だと思うけどな。

たしか116人必要なんだよな、オーケストラ。


んでもって歌手には、
喉をつぶしかねない相当高度な技術が求められる上、
演技力も必要ときてる。

最高じゃないか!

オペラってもともと贅沢だけど、
それにしても贅沢なオペラだね。


うん。だから好きだな。

でもひとつ嫌なのが、
復讐が終わった後姉さんが死んじゃうこと。

えっ?!

復讐を見届けたエーレクトラーは、
歓喜の踊りを踊り、絶命しちゃうんだ。

勝手に殺すなよ、って感じだよね。
(結婚できないじゃないか!)

まあでもいいオペラだよ。
俺のお勧めはカール・ベーム指揮、
シュターツカペレ・ドレスデン演奏の盤。

エーレクトラーにこれが当たり役のインゲ・ボルグ、
そして俺オレステースにフィッシャー=ディースカウ!

とにかく、重厚感がたまらないね。

僕は、
同じくカール・ベーム指揮、
演奏はウィーン・フィルのディスクが好きだな。
オペラ映画形式でDVDも出ている。



もう一つ、別の作曲家によるオペラ『エレクトラ』があるわ。

そうだそうだ。

我らがヘラスの伝統を受け継ぐギリシア人、
テオドラキス(1925-)のオペラ『エレクトラ』がある。
これもソポクレースの『エーレクトラー』が原作だな。

割と最近の作品だ。たしか1992年。

なんか印象がシュトラウスのオペラと全然違うよね。


ラヴ&ピースな出来になってるよな。

不思議よね…。

でもやっぱり音楽がいいよ。すごくドラマティックで、激しくて、感情的で、
それでいて憂いも含んでいて、なにより耳障りがいい。
番人受けしそうなメロディーにあふれている。

シュトラウスは血みどろ感にあふれていたけれど、
テオドラキスはどうだい、ロマンティックですらある。

冒頭、エーレクトラーが
ペルセポネーへの祈りを歌うところなんか、
ちょっと爽やかな風が吹いてるよな。

清涼感に満ち溢れた、すがすがしくって美しい歌だ。

私はこの作品が好きだわ!

俺もこの作品の中のエーレクトラーが好きだな!

僕はこの作品の中のピュラデースが好きだ!

・・・・・・・・・・。




★戯曲★

後そういえば哲学者サルトルがオレステスの復讐譚を題材に書いた
『蝿 Les Mouches』(1943)という戯曲があるね。

最後、俺がエーレクトラーに
見捨てられちゃうんだよな…


もう絶対みたくない…

はは、そういうなよ。

異色よね。
でも、この題名の意味がわかったとき、ハッとしたわ。

刺激的な作品だわ。

うん。そこはすごい。

そして僕はオレスト(オレステース)が
ものすごいシスコンでいつも引く。

やばいよ。
ソポクレースのオレステースなんか
目じゃないくらいシスコン。

そうだったかしら。

もうやめない?この話。

もうギリシア悲劇の話はおわったんだしさあ!

はいはい、わかったよ、やめにしよう。



以上で、「オレステイア」にまつわる悲劇(+α)は終わりだ。
久しぶりに長々と話したから舌がつかれたよ。












というわけでざっと「オレステイア」を見てきましたが、

二度生まれたる神ディオニューソス様、
そして輝く至高の奥方様、いかがでしたか?



…オレステース君、君、本当に面白いね。

なんだか、あなたが悲劇に良く取り上げられる、
その理由が分かった気がしました。

えっ、それはどういう理由でしょうか?

畏れ多くも、奥方様。

なんというか、業が深いというか…

その時々の問題意識を預けられやすいというか…

・・・・・・・・・・


うん、アリアドネー、君はよく学んだようだ。


←【1. オレステイア:II】へ

【表紙】にもどる